36:夏 が 終わ る日




「いいの?遊んでいかないで」
「うん、いいんだ、たまには」


「それにほら、すぎていく夏を惜しんでみるのもそれなりにおつだしね」
「ふ〜ん……」




と、そんな一コマ。


とてつもなくどうでもいい話です。
でも、私の中ではこだわっていること。
多分誰も気になんかしてないだろうこと。
これも、そんなことから出ている会話です。



「4:波打ち際」とこの「36:夏が終わる日」は組み合わせは異なりますが
その意味で私が連動して考えていた物です。
どう連動しているかは、これだけでは分らないでしょうが(^^);

ところで、はるかとかなたは、単に兄妹、というだけではなく、
マスターと付き星、といううち独自の特殊な関係である中でも
特に異彩を放っていて、はるか(ウラヌス)とかなた(チタニア)は
ある部分で正反対であり、ある部分では一心同体です。

他ではないここだけの事情のせいで、結構ややこしいこともあり、
それは、「個」が確立している現代でも、微妙に影響はしているようで……

けれどもそれをどう受け止めたり受け入れるかは、これもまた個の感性によるという……

ほんとにややこしい中で生きているのがかなた、なんだと思います。
変な表現でお気を悪くする方があると困るのですが、その意味では
多分うちのはるかよりはるからしいこともあるような気がします。

でもだからこそ、いかにはるかから離して、けれどもいかにして影であり分身であるか
を考えるのは、とても難しくややこしいのです。

ただ、せつなが特殊であることと、かなたが特殊であることは妙に合致をする部分もあり……

(元々特殊な事情を抱えていた)せつなを

いかにして生かすか?

いかにして逝かさないか?

で悩んでいた私を
妙にするっと救ってくれたのもかなたでした。

いくら似ててもはるかがその役では変ですしね(^^);
逆にかなたがはるかの役割を果たしても変ですしね。


そんでもって最近では、いかにしてせつなを活かすか、も私より上手そうです(^^);


なんかこの人いないと、うちもう進まない感じです;とほほ;


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